ヨメと黒猫と赤坂で。

仕事場にしばらく籠もりっきりになっていると、ヨメがやって来てちょっかいを出してくる。こちらが眉間にしわを寄せて原稿と格闘していようがお構いなし。最近はマック赤坂に今ごろハマっているようで「スマイル!」などと連呼してくるので、当然完全無視で目下の最重要課題に神経を集中するのだが、「……か?」「……してますか?」「スマイル!……してますか?」「スマイルゥゥゥ!」と一向に攻撃の手を休めない。いや本当その強靱な精神力は見習いたい。

それで思い出すのが、黒猫が生きていた時のことだ。わりと大きい仕事を抱えてトイレに行く以外は仕事場に数日籠もりっきりで原稿を書いているような時があった。そんな時にヨメと黒猫が仕事場にやって来て踊り始める。それはまるで見事な人形浄瑠璃を見ているようで、魅了された私は思わず仕事の手を止め、などということはなくやはり完全無視を決め込み、原稿の進みが悪いこともあってイライラした態度を隠しもしなかった。それでもヨメは強靱な精神力でもって黒猫と共にデービス&ホワイト組さながら息の合った踊りを延々と続け、とうとうこちらが折れて休憩を取る、ということが何度もあった。

一回一回はほんの数分の出来事だったと思うが、そんな小さな結晶がいくつも積もり重なって黒猫とのかけがえのない思い出の一つになっているのだ。ということに気づいたのは、悲しいかな黒猫が旅立った後だった。暇になったら、というのはおそらくはいつまでも実現しない約束で、もう二度とない機会というのは、それが貴重であることを決して悟られないように目の前を通り過ぎていくものだ。

猫の日に寄せて。