パラスポーツとの向き合い方


スポーツ雑誌の仕事をさせてもらうようになった関係で、さまざまな障害者スポーツを直接目にする機会が多くなった。
印象的だったのは、車いすバスケットボールで前代未聞の全国8連覇を果たした宮城MAXの岩佐義明監督が「これはれっきとした一つのスポーツなんです」と、こちらの偏見的な先入観を見抜いた上で諭すように言った一言。その後障害者スポーツの連載を担当するようになってから、いつもその言葉を胸に競技や選手と向き合い、取材執筆するように心掛けている。
パラリンピックが始まる。オリンピックに比べて世の中の関心が薄れる(であろう)ことを、健常者と障害者の対比で語るのは本質を突いていない。単に私たちは、その一つ一つのスポーツを楽しむための知識と理解と経験が足りていないだけなのだ。
一方で私たちはある日突然、まともに観戦したこともなかったラグビーに熱狂するようになり、レスリングの手に汗握る攻防に夢中になり涙を流す。嘲笑されがちなミーハー根性というものが裏返しで奏功し、突然一つの競技にスポットが当たり、長年地道に努力を続けてきた選手たちが日の目を見る機会が生まれることがある。
例えば車いすバスケットボールはその迫力も魅力だが、プレーヤーの障害の重さに応じて1.0点(重度)から4.5点(軽度)まで0.5点刻みでポイントが設定され、コート上の5人で計14.0点以内でなければならないというルールがあり、そこから生まれる戦略性は健常者のバスケットボールには無いものだ。
ミーハー根性大いに結構。ルールを知り、試合の見方が分かり、躍動する選手たちに魅せられ、それが自国の選手であればなおさら思い入れが強くなる。障害のある人たちが頑張っている、という感動の物語を消費するのではなく、これまで知らなかったさまざまなスポーツの世界トップレベルの戦いが連日見られる4年に1度の機会。それがパラリンピックなのだ。
ワクワクしませんか?

アルコール注意(アル注)


黒猫亭の主が虹の橋へ遊びに行ってしまったので、留守を預かる飼い主は日々飲んだくれていたのであった。
最近は飲酒量を2割減らした。1日10杯までと決めていたのだが1杯の定義がなされていないものだから、5杯目を超えたあたりから350ml缶を500ml缶に変えてみたり、日本酒ならとっくりで1杯換算したり、ウイスキーはダブルがトリプルになり、お店に行けば1パイントで1杯だと言い始めるものだから、量が減らないことについに業を煮やした。1日8杯までにした。
ここからは全くのフィクションだけれど、ここ数年は昼から飲んでいた。おれには立派な自制心があるので、外で仕事がある時はその2時間前までに飲み終えるというルールを決めていたのだが、2時間前までに注いだ1杯が最後、というコリジョンルールがやがて適用されるようになった。野球の世界も酒飲みの世界も時代に合わせてルールを見直していくことは必要かもしれません。正直これはもうアル中なんだろうなあ、ということで飲み始める時間も遅らせた。16時以降、8杯まで。
敬愛する椎名誠のエッセーの中に野田知佑がアル中でおかしくなったので騙して病院に連れていってベッドに縛り付けたという話があって、ヨメと親友の一人には、おれが酒飲んでワケ分からないこと言い始めたら同じことをしてくれと伝えてある。

春を届けに


弘前に友達ができた。弘前公園の桜の枝を持ってやって来た。
弘前の桜が日本一と評されるのは、りんご栽培で培われた剪定技術の賜物だ。という話も初めて聞いた。剪定した枝は市民に配られ、この日は200人の行列ができたそう。
その枝を手に入れた彼は、今日たまたま仙台でよく知らない胡散臭い男(おれのこと)と飲むことになっていたので、せっかくだから土産にしようと両手に余るほどの枝を抱えて、新幹線に揺られてやって来た。
「その枝は何?」と俺。
少しはにかんで、「春を届けに」。
いつも飲み歩いていて良かったな、と思うのはこういう時だ。青森にゆかりある親方が立つ古居酒屋へ連れていき、岩木山の写真が飾られた店内で青森談義。枝の1本をお裾分けして、それぞれの帰路へ。
桜の枝を肩に千鳥足で夜道を歩く。笑われるのはまだいいほうで、アブナイ人が来たとあからさまに避ける人もいる。そりゃまあそうだろうなあ。
しかし君たちはこの枝の意味を知るまい。
人はそうやって大切な桜の枝を大事に抱えながら歩いているのだ。たとえその姿が滑稽だと思われようとも。

ヨメと黒猫と赤坂で。

仕事場にしばらく籠もりっきりになっていると、ヨメがやって来てちょっかいを出してくる。こちらが眉間にしわを寄せて原稿と格闘していようがお構いなし。最近はマック赤坂に今ごろハマっているようで「スマイル!」などと連呼してくるので、当然完全無視で目下の最重要課題に神経を集中するのだが、「……か?」「……してますか?」「スマイル!……してますか?」「スマイルゥゥゥ!」と一向に攻撃の手を休めない。いや本当その強靱な精神力は見習いたい。

それで思い出すのが、黒猫が生きていた時のことだ。わりと大きい仕事を抱えてトイレに行く以外は仕事場に数日籠もりっきりで原稿を書いているような時があった。そんな時にヨメと黒猫が仕事場にやって来て踊り始める。それはまるで見事な人形浄瑠璃を見ているようで、魅了された私は思わず仕事の手を止め、などということはなくやはり完全無視を決め込み、原稿の進みが悪いこともあってイライラした態度を隠しもしなかった。それでもヨメは強靱な精神力でもって黒猫と共にデービス&ホワイト組さながら息の合った踊りを延々と続け、とうとうこちらが折れて休憩を取る、ということが何度もあった。

一回一回はほんの数分の出来事だったと思うが、そんな小さな結晶がいくつも積もり重なって黒猫とのかけがえのない思い出の一つになっているのだ。ということに気づいたのは、悲しいかな黒猫が旅立った後だった。暇になったら、というのはおそらくはいつまでも実現しない約束で、もう二度とない機会というのは、それが貴重であることを決して悟られないように目の前を通り過ぎていくものだ。

猫の日に寄せて。

猫の写真展、はじめました。


仙台・ゼロベースで「猫の写真展」−「猫を愛する」25人が撮影した170枚 - 仙台経済新聞

8月17日、黒猫ネネの命日に合わせて猫の写真展を開くことができました。
出展していただいた方、twitterなどで反応していただいた方、既にご来場いただいた方、それからネネの近くに集まってくれたたくさんの猫の皆さんに厚く御礼申し上げます。どうもありがとうございます。

それに伴って、会期中はゼロベースを間借りして仕事をしています。お仕事のご相談や仙台経済新聞への広告掲載のご依頼、理由はないけどキミにお金をあげよう!など、明るい話題をお持ちの方はぜひゼロベースまで。原稿の催促は固くお断りいたします。


たくさんの猫に見守られながらお仕事。幸せ空間すぎます。

新約 オオカミ少年

とある村にオオカミの群れがやってきて、牧場にいたヒツジの全てを食べてしまいました。
ヒツジ飼いを任されていた少年は、オオカミの群れをどうすることもできず、ただ逃げることしかできなかったのです。
そのことを村の誰ひとり責めませんでしたが、少年は自分の無力さにひどく落ち込みました。
すると、その噂を聞きつけた隣町の住人たちが金を出し合って、以前飼っていたのと同じ数のヒツジを届けてくれました。
少年も村人たちも喜び、同じようなことが起きないように、月に一度訓練を行うことにしました。

ところが、3カ月、半年、1年と経つうちに参加する村人は減り、とうとうヒツジ飼いの少年ひとりしかいなくなってしまいました。
彼は心配になって村人に何度も訴えましたが、その声に耳を傾ける者はいませんでした。
中には「ヒツジが食べられたら、また誰かからもらえばいいのさ」とうそぶく者さえいました。
悲しくなった少年はある日、ふと思いついたことを行動に移しました。
「オオカミが来たぞ!」
するとどうでしょう。最初の訓練の日と同じように、村中の人たちがあわてて牧場へ飛んできたではありませんか。
そうして少年は、ヒツジを守るために何度も村人たちを訓練し続けることに成功したのです。
けれども彼は、回数を重ねるごとに、村人たちの表情が変わっていっていることに気がつきませんでした。
そんなある日、村に再びオオカミの群れがやって来たのです。

痛いニュース(ノ∀`) : 「関西で震度7!!!」 気象庁が緊急地震速報…大誤報 - ライブドアブログ