崩れた壁の記憶


震災から7カ月、ようやくうちのマンションでも改修工事が始まって、毎日朝から轟音が鳴り響いている*1。あの激しい揺れとともに×字型に裂け、僕に恐怖と諦念を感じさせた壁はバッキバキに壊されて、もうすぐ3月10日までのようなきれいなクロスが貼られるのだろう。悲しい出来事が日常のよしなしごとで覆い隠されていくように。
震災の記憶は生活と隣り合わせで置いておくべきだ、と思う。遠くの公園に大きなモニュメントができたからといって、そこに個人的な思いを留まらせておくことはできない。だけどこの壁の亀裂がいつまでも残っていれば、それを見つめるたび僕は、黒猫と嫁を両脇に抱えながら壁が崩れ落ちていく様子をただ呆然と眺めていたあの瞬間がフラッシュバックするだろう。
その壁がもうすぐ直る。むろん壁に穴があいたままじゃ東北の寒い冬は越せそうにないけれど、何か強制的に卒業を言い渡されているような気がして、不安だ。

*1:ので、仕事の電話でご迷惑おかけしております