3月11日ではなく

3月11日に何か特別なことをやろうとしていたり、自分はどう過ごそうかと考えている人が多い。
3月11日は誕生日や記念日ではないので、あけおめメールのように被災地の誰かにメールを送ろうとはならない。書くほうも慎重になるし、受け取るほうも反応に困るかもしれない。
震災からしばらくの間、「いま私たちができることはなんですか」という質問を取材で聞かれることが何度かあった。それは、その時その時で変化してきたけど、これからは「関心を持ち続けること」だというのは誰もが共通する答えの一つだろう。
だけど、関心を持ち続けるっていうのはとても曖昧。テレビで震災の番組を見るようにしています、というのもそうかもしれないけど、私たちはテレビ局の人間ではないので、関心を持ち続けてもらっている実感はわかない。
関心を持ち続ける行動とはなんだろうかと考えると、たとえばなんでもない日に、「最近はいかがお過ごしですか」と一通メールを送ることのような気がする。
3月11日のような節目の日でなくても、たとえば今日、「あれからもうすぐ1年経ちますね。今年はあなたが穏やかに春を感じてお過ごしになられることを願います」という便りが届いたら、関心を持ち続けてもらっていることを実感できる。そして、桜の写真でも添えて返信するだろう。
メール1通、手紙1通出すのにお金も時間もほとんどかからない。1年に一度の年賀状だけはやたらきっちりと風習化している日本だけど、決められた日にしか手紙を出していけないわけではない。