匂いの記憶


シイタケとホウレン草をいただいたのでパスタにして食べた。指からほのかにニンニクの匂いがした。
料理人だったお袋の指は、いつも食べ物の匂いがしていた。子どものころのおれは、その匂いが好きじゃなかった。お袋からハンカチを借りると、やっぱりその匂いがして嫌だった。石けんでもっとよく手を洗えばいいのに、なんでちゃんと洗わないんだろう。
おれが料理人になると思っていたようだ、と親父から聞いたのはお袋が死んだあとだった。小学校に入ってすぐのころ、習い事に行ったお袋の帰りが遅くて、親父が帰ってきても酒のつまみになるものがなく、困ったおれは冷蔵庫にあったちくわを刻んで、マヨネーズしょう油と一味をかけて出した(らしい)。いい大人になってから何度も聞かされた話。
あるいは上京して貧乏学生だったころ、田舎から送られてきた徳用山ごぼう漬の残り汁すらもったいないので具のない炊き込みご飯を作ったと話したら、それを職場で触れ回っていた。というのも、あとで何人かに聞いた。
お袋が死んでしばらくたったある時、いつものように料理をしていたら、指からお袋と同じ匂いがしているのに気付いた。そうか、ニンニクだったんだ。毎日毎日ニンニクをむいて刻んでいるうちに、いくら洗っても取れないくらい匂いが手にこびりついていたんだ。持ち物にさえ移るほどに。
顔や声や、どこかへ行った思い出はぼんやりしてきても、変なことだけはいつまでも妙にはっきりと覚えているもので、手に付いたニンニクの匂いを嗅ぐたびに、お袋の荒れた指先を思い出す。