自立

野田知佑「北の川から」のこんな一節にグッときた。

「自立した人間にとって、過疎といわれる山村に住むのは快楽だろう」

過疎とは言わないまでも、田舎では自分の力で生きている大人の姿を目にすることが多い。労働力の対価として貨幣を受け取り、市場で同等の価値を持つものと交換して何かを手に入れる、というのも一般的には自立というのかもしれないけど、それは前提となる社会のシステムが機能しているときの話だ。
過疎の山村というのは世の中の仕組みと一部断絶している状態にあって、そこでは自力(じりき)みたいなものを試されるどの野草が食べられるかを見分けられる能力が重要となる世界。あるいは何食ってもガシガシ消化して栄養吸収しちゃう丈夫な胃腸の持ち主こそが強い世界。
資本主義の経済システムがより多くの人を幸せにする便利な仕組みであることも否定しないけど、自分たちが立っている場所が虚構の上に成り立っているのかを時おり強制的に別の場所から見てみることは大切だ。
虚構がはがれ落ちたむき出しの自然と人間同士の付き合いの中で、自分は何ができるか。過疎といわれる山村に住むのが快楽だと感じられる、自立した人間になりたいものです。