風化の光


SENDAI光のページェントが開幕した。12月7日17時30分、予定時刻ぴったりの点灯。
17時18分、三陸沖を震源マグニチュード7.3の地震が発生。宮城県内では震度5弱の揺れを観測。点灯式が行われていた定禅寺通グリーンベルトでも揺れと地鳴りが続き、ビルや標識も大きく揺れた。立っていると目まいがしているようで、思わずしゃがみ込む人たちもいた。
その瞬間、点灯式では来賓の祝辞が述べられていた。あれだけ長い揺れの間、台本通りの言葉が続く。気づいていないのか。
ようやく揺れも収まったころ、緊張感のない祝辞が終わり、司会が「ただいま強い揺れを感じました」
次に実行委員長の挨拶。「昨年は東日本大震災があり……今年はすべての電球を新しくしました……笑顔で上を向いて歩きましょう」
その声に耳を貸さず、周囲の人たちは携帯を覗き込んで情報を集める。「津波警報だって!」 騒然とする会場。
挨拶がしっかり終わるのを待って、「三陸沖に津波警報が発令されました。沿岸部の方は高台に避難してくだ……えー、沿岸部にお住まいの方がいらっしゃれば連絡を取るなど、避難を呼び掛けてください。それでは、引き続き点灯式を……」
「続けるの!?」 隣にいたカメラマンと同時に口に出た。
17時30分、予定通り点灯。上がる歓声。さっきまで地震津波の情報を追っていた携帯をかざして撮影が始まる。
沿道でサンタ姿の子どもたちが合唱を始めた。
・・・
これが東京のイベントだったっていうならまだいい。やっぱり風化してるんだなって、半ば諦めのような気持ちで言える。だけど仙台でこれじゃ駄目だよ。
あれだけの震災を経験してなお、地震発生時のマニュアルができていないのが露呈した。何より危機感のなさが露呈した。
合唱の子どもたちは、家族の無事が確認できたんだろうか。揺れで怖くなってしまった子はいなかったんだろうか。
集まっていた人たちは大切な人の安否を落ち着いて確認したかったんじゃないだろうか。石巻の、気仙沼の、女川の、大船渡の、家族や友人に連絡する時間が欲しかったんじゃないか。
あの瞬間、点灯よりも優先させることはいくらだってあったはずだ。時間通り、予定通り行うことがそんなに大事だったのか。
点灯の瞬間のために観光客が来てるから?
マグニチュード7を超える地震があって、津波警報が出ているのに、何事もなかったかのようにイベントが行われる街に観光客はむしろ頼もしさを感じるって?
いやいや、あそこは危機感がない、危ないから行かないほうがいいってなるよ。
震災を経験した街を代表するイベントだからこそ、すべてを一旦ストップすべきだった。それはマニュアル通りの完璧な対応でなくても構わない。震災からしばらくの間、私たちは本能的に、地震が起きた時にまず何と何をすべきか身につけたはずじゃないか。
来場者の無事と、ケヤキや電球、周囲の建物に危険がないかを確認。地震津波の状況をアナウンスし、イベントに出演する子どもたちの様子を見て、観光客向けに避難場所の説明をする。そういう対応を見ればこそ、まだ余震の続く中でも安心してまた来ようと思ってもらえるんじゃないか。
震災の記憶を風化させないために、という活動をいくつも見てきた。その多くは、震災を間近で経験した私たちではなく、たいてい外に向けられているが、本当に風化しているのは足下だった。ページェントの光が照らすその足下だ。

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*1:司会や祝辞の言葉が一言一句正確なわけではありません → 点灯式の動画があったので、より正確な言葉に直しました