それは被災地だけの話じゃなくて


朝日新聞デジタル:仮設商店街、再建遠く 特需去り「客は1日3人」 - 社会
おおふなと夢商店街に入っているのは学生時代ずっと髪を切ってもらっていた床屋とか同級生の家でやってるケーキ屋とか、子どものころから馴染みの店ばかり。帰省や取材のたび様子を見に訪れているので、客がどんどん少なくなっているのは感じていた。
だけどこれ、べつに仮設商店街特有の問題じゃないです。それに、復興特需がなくなれば元通り、なんていうのは店をやっている人たちはかなり早い段階から話していたこと。「んだがら、稼げるうぢに稼いどがねえば」って飲み屋のママも言ってた。
大船渡商店街は、まだおれが小中学生のころまでは毎月「夜市」なんていう催し物も開かれていてそれなりに賑わいがあったんだけど、1990年代に入るころから急速に衰退した。駅前のシンボルだったみなとや(本屋)、ぶかわ(おもちゃ屋)がなくなり、電気屋靴屋、CD屋、喫茶店も潰れ、休日に駅前のアーケードを歩く人はどんどん減っていった。普段の買い物はマイヤ(ショッピングセンター)と隣町のサンリアに集約され、広い駐車場のある大型のホームセンターやドラッグストア、家電量販店ができて、個人店から大型店の時代へ。
郊外に大型店ができて地域の商店街がすたれるという日本全国で起きてるのと同じことです。もちろん再建費用という別の大きな問題はあるんだけど、仮に今まで通りの商店街がそこにできても、先が明るい話ではありません。
だから、被災地の問題、復興の問題として受け止めずにもっと大きな構造の問題だと考えないと、本質的な解決への道は見えてこない。間違って、みんなで大きな絵を描いて商店街のシンボルにしましょう、みたいな話になっちゃう。そうじゃなくて、復興特需が一段落した後で、観光地でもない大船渡が結局地元の消費だけでどうやってくかというところと向き合わないといけない。
大船渡の場合は漁業・水産業がすべての経済活動の源となっていたので、その衰退とこういう商店街の話を切り離して考えることはできないというのが取材を続けていて実感することです。