(告知)lounge logue 06:木村博之

もう前日だった。。
logueのメンバーがいま会いたい人をお招きして話を聞こうと思うんですが、あなたも一緒にどうですか? というイベント「lounge logue」。いつもは仙台市内で行うのですが、今回は趣向を変えて松島の素敵カフェ「松華堂菓子店」で開催します。
今回のゲストは日本のインフォグラフィックスを牽引する木村博之さん。以下、logueのサイトからコピペ。

lounge logue 06: 木村博之
「lounge logue」は、あらゆるジャンルで私たちが聞いてみたい人や出来事について話を聞くための、そして、同じくそれに興味のある人たちのための場のシリーズです。
今回は、日本のインフォグラフィックスを牽引する(株)チューブグラフィックス 木村博之さんを迎え、情報を可視化するとはどういうことなのかお話を伺います。また、logueが来季から講師を務めるせんだいスクール・オブ・デザイン PBLスタジオ4 コミュニケーション軸「Cityformat -都市生活のインターフェースを考えなおす」についても木村さんと一緒に考察したいと思います。

ゲスト
木村博之  (株)チューブグラフィックス| http://www.tubegraphics.co.jp

1956年、宮城県女川町生まれ。(株)チューブグラフィックス代表取締役明治大学卒業(地理学)。1986年、(株)チューブグラフィックスを設立。1995年、SND Malofiej Infographics Awardsで金賞受賞。1996〜97年、Malofiej Awardsの審査員。1998年、競技インフォグラフィックスをコンセプトとした「長野オリンピック公式ガイド」を企画作成。2009年、第30回SND(The Society for NewsDesign)国際コンテスト審査員。
日本経済新聞の新シリーズ「アジアビジネスマップ」(2013年1月〜、毎週火曜)では、グラフィック・ファシリテーター、コンセプトデザイナーとして制作に協力。現在、経済産業省主催の「ツタグラ(伝わるINFOGRAPHICS)」プロジェクトのアドバイザリーボードのほか、千葉大学工学部、東洋大学ライフデザイン学部で講師をつとめる。

日 時|2013年3月23日(土) 18:00 – 19:30
場 所|松華堂菓子店(宮城県宮城郡松島町松島字町内109 2F)

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参加方法|申込不要・参加無料 (松華堂菓子店2Fカフェにて行いますので、飲み物などご注文ください。)
協 力|せんだいスクール・オブ・デザイン|http://sendaischoolofdesign.jp
    松華堂菓子店

明日もまあまあ天気はいいみたいなので、松島の景色を眺めがてらお立ち寄りいただければ幸いです。一緒に楽しみましょう。

今日からまた。


女川さいがいエフエムと文化放送との共同放送に参加してきた。
「被災地のローカルメディアの役割は」と聞かれて、それこそ震災以降おれがずっと探していることなので答えがあるなら教えてほしいくらいなんだけど、「今日以外の364日を伝えること」と答えた。まあ皮肉屋だからさ。。
3月11日だけが話題になることに抵抗を感じる人も多いかもしれない。気持ちはよく分かる。
だけどそれを声高に言ったところで、3月11日以外の日も報道しようという機運になるかといえば、3月11日の報道すら縮小していくのが現実なのだ。
だから、そこは自分たちで担えばいいじゃない。次の3月11日までの期間はおれたちがしっかりやっときますから、3月11日になったら様子見に来てよ、という気概で一緒にやっていきましょう。という気持ちを込めて言いました。


オナガワエフエム

小さなプレハブ一つで頑張って運営されています。いろいろなご苦労があると思います。ぜひ応援してあげてください。

猫の写真展を開きます。


黒猫が旅立ってちょうど半年が経ちました。経過した時間ほどには悲しみは癒えないものです。
tumblrで最近こんなの流れてきてさぁ。。

>俺もデジカメ買ったけど飼ってた猫が死んで撮るものがなくなった…
ああ、俺も犬が死んでから撮るものがなくなった。あとで見返すと、あいつ真っ黒だったから、5年ぐらい前の俺のデジカメじゃ細部が潰れてよくワカラン。もっと良いカメラかっとけばよかった。今買い換えようかと思って新製品情報とか見てても、「どうせ撮る相手がいない」 待てば待つほど性能は上がる。それで毎回買うの止める。
いいかみんな。極上の被写体が手に入ったとき、経済力の許す限り最高の記録装置を買え。あとからじゃ間に合わんのだ。

そうだねぇ。。昨年仕事用に新しいカメラを買って手元に届いたのが8月16日、黒猫が亡くなる前日でした。それで試し撮りしたのがこの写真でそのまま遺影になったという。比較的おれは写真撮ってたほうだけど、この先新しいコレクションは増えていかないわけで、だから猫飼ってる人はもっとバンバン写真撮ってあげるといいです。
振り返るとおれは猫が好きなんじゃなくてうちの黒猫のことが好きだったんだと思うけど、不思議なもので、黒猫が亡くなってからはどんどん猫好きになってます。黒い猫は言わずもがな、トラでも三毛でもアメショーでもロシブルでも、すべての猫の写真に黒猫の面影を見て、「おおそうかお前も猫だったのかーヨシヨシヨシヨシ」と目を細めています。おっさんキモイ。
そんなわけであと半年経つと一周忌を迎えるのですが、猫の一周忌のやり方がよく分からないので、代わりに猫の写真展を開くことにしました。

猫の写真展(仮)

すでに親しい猫の飼い主さんや路上猫写真家の方などには声掛けさせていただいてますが、twitterの猫クラスタの皆さんとか、協力していただける方に出展をお願いして、ゼロベースの壁一面を猫の写真で埋め尽くしたいなあと。仲間たちに囲まれたら黒猫も寂しくなくていいかなと思ったんですが、とびきり臆病だったので隅っこに隠れちゃうかもしれない。
もし、黒猫亭を読んでくれている方で出展してくださる方がいたら、こちらまでご連絡ください。

それは被災地だけの話じゃなくて


朝日新聞デジタル:仮設商店街、再建遠く 特需去り「客は1日3人」 - 社会
おおふなと夢商店街に入っているのは学生時代ずっと髪を切ってもらっていた床屋とか同級生の家でやってるケーキ屋とか、子どものころから馴染みの店ばかり。帰省や取材のたび様子を見に訪れているので、客がどんどん少なくなっているのは感じていた。
だけどこれ、べつに仮設商店街特有の問題じゃないです。それに、復興特需がなくなれば元通り、なんていうのは店をやっている人たちはかなり早い段階から話していたこと。「んだがら、稼げるうぢに稼いどがねえば」って飲み屋のママも言ってた。
大船渡商店街は、まだおれが小中学生のころまでは毎月「夜市」なんていう催し物も開かれていてそれなりに賑わいがあったんだけど、1990年代に入るころから急速に衰退した。駅前のシンボルだったみなとや(本屋)、ぶかわ(おもちゃ屋)がなくなり、電気屋靴屋、CD屋、喫茶店も潰れ、休日に駅前のアーケードを歩く人はどんどん減っていった。普段の買い物はマイヤ(ショッピングセンター)と隣町のサンリアに集約され、広い駐車場のある大型のホームセンターやドラッグストア、家電量販店ができて、個人店から大型店の時代へ。
郊外に大型店ができて地域の商店街がすたれるという日本全国で起きてるのと同じことです。もちろん再建費用という別の大きな問題はあるんだけど、仮に今まで通りの商店街がそこにできても、先が明るい話ではありません。
だから、被災地の問題、復興の問題として受け止めずにもっと大きな構造の問題だと考えないと、本質的な解決への道は見えてこない。間違って、みんなで大きな絵を描いて商店街のシンボルにしましょう、みたいな話になっちゃう。そうじゃなくて、復興特需が一段落した後で、観光地でもない大船渡が結局地元の消費だけでどうやってくかというところと向き合わないといけない。
大船渡の場合は漁業・水産業がすべての経済活動の源となっていたので、その衰退とこういう商店街の話を切り離して考えることはできないというのが取材を続けていて実感することです。

シュレーディンガーの黒猫


明石家サンタを横目に見ながらハードディスクの大掃除をしていたら黒猫のサンタコスプレ写真が出て来た。こういうのも撮っておくものですね。
小沢昭一さんが亡くなって2週間経ったけど、追悼放送ということで今日も相変わらず「小沢昭一的こころ」が放送されていた。
40年近く1万回以上続いていた番組だから昔の放送はほとんど誰も覚えてないだろうし、時事ネタを外して季節に合わせて並べ直したら違和感なく延々と放送できるんじゃないだろうか。
そのまま続けていると次第に在りし日の小沢昭一さんを知る人は減っていって、それでも放送だけは毎日やっているもんだから誰もが彼が亡くなっていることを忘れ再び小沢昭一さんは命を持ち始める。そんなSF版「小沢昭一的こころ」を妄想。
同じように、こうして黒猫の写真を載せて「今日はクリスマスなので恒例のサンタコスプレです!」とさえ書けば、それを見た人の中で今日も黒猫は命を持ち続けるわけだ。
ひとの生き死にはなんて曖昧なんだろう!

殺伐としたTLにシュレーディンガーの猫が!
  ______
 /     /|
┃ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄┃┃<にゃー
┃     ┃┃
┃     ┃/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
_人人人人_
>生存確認<
 ̄^Y^Y^Y ̄

まさにこのコピペの通りで。いや全然違う。
飼い主に似て大きいこの顔が誰かの記憶の中に残っている限り、そこで黒猫は永遠に生き続けているのでしょう。なんだかサンタクロースがいるかいないかのような話だな、と思う夜でした。
メリークリスマス。

風化の光


SENDAI光のページェントが開幕した。12月7日17時30分、予定時刻ぴったりの点灯。
17時18分、三陸沖を震源マグニチュード7.3の地震が発生。宮城県内では震度5弱の揺れを観測。点灯式が行われていた定禅寺通グリーンベルトでも揺れと地鳴りが続き、ビルや標識も大きく揺れた。立っていると目まいがしているようで、思わずしゃがみ込む人たちもいた。
その瞬間、点灯式では来賓の祝辞が述べられていた。あれだけ長い揺れの間、台本通りの言葉が続く。気づいていないのか。
ようやく揺れも収まったころ、緊張感のない祝辞が終わり、司会が「ただいま強い揺れを感じました」
次に実行委員長の挨拶。「昨年は東日本大震災があり……今年はすべての電球を新しくしました……笑顔で上を向いて歩きましょう」
その声に耳を貸さず、周囲の人たちは携帯を覗き込んで情報を集める。「津波警報だって!」 騒然とする会場。
挨拶がしっかり終わるのを待って、「三陸沖に津波警報が発令されました。沿岸部の方は高台に避難してくだ……えー、沿岸部にお住まいの方がいらっしゃれば連絡を取るなど、避難を呼び掛けてください。それでは、引き続き点灯式を……」
「続けるの!?」 隣にいたカメラマンと同時に口に出た。
17時30分、予定通り点灯。上がる歓声。さっきまで地震津波の情報を追っていた携帯をかざして撮影が始まる。
沿道でサンタ姿の子どもたちが合唱を始めた。
・・・
これが東京のイベントだったっていうならまだいい。やっぱり風化してるんだなって、半ば諦めのような気持ちで言える。だけど仙台でこれじゃ駄目だよ。
あれだけの震災を経験してなお、地震発生時のマニュアルができていないのが露呈した。何より危機感のなさが露呈した。
合唱の子どもたちは、家族の無事が確認できたんだろうか。揺れで怖くなってしまった子はいなかったんだろうか。
集まっていた人たちは大切な人の安否を落ち着いて確認したかったんじゃないだろうか。石巻の、気仙沼の、女川の、大船渡の、家族や友人に連絡する時間が欲しかったんじゃないか。
あの瞬間、点灯よりも優先させることはいくらだってあったはずだ。時間通り、予定通り行うことがそんなに大事だったのか。
点灯の瞬間のために観光客が来てるから?
マグニチュード7を超える地震があって、津波警報が出ているのに、何事もなかったかのようにイベントが行われる街に観光客はむしろ頼もしさを感じるって?
いやいや、あそこは危機感がない、危ないから行かないほうがいいってなるよ。
震災を経験した街を代表するイベントだからこそ、すべてを一旦ストップすべきだった。それはマニュアル通りの完璧な対応でなくても構わない。震災からしばらくの間、私たちは本能的に、地震が起きた時にまず何と何をすべきか身につけたはずじゃないか。
来場者の無事と、ケヤキや電球、周囲の建物に危険がないかを確認。地震津波の状況をアナウンスし、イベントに出演する子どもたちの様子を見て、観光客向けに避難場所の説明をする。そういう対応を見ればこそ、まだ余震の続く中でも安心してまた来ようと思ってもらえるんじゃないか。
震災の記憶を風化させないために、という活動をいくつも見てきた。その多くは、震災を間近で経験した私たちではなく、たいてい外に向けられているが、本当に風化しているのは足下だった。ページェントの光が照らすその足下だ。

*1

*1:司会や祝辞の言葉が一言一句正確なわけではありません → 点灯式の動画があったので、より正確な言葉に直しました

言葉の変化


【国語世論調査】にやける→「薄笑い」、うがった→「疑って掛かる」 誤用が“市民権” - MSN産経ニュース
時々こういうのあるけど、半数以上が誤用してたらもはや誤用じゃないんじゃないかな。
誤用や逆さ言葉、訛りがいつしか本来の語に取って代わって使われる例などたくさんあって、もともとの意味に執着していても仕方がないと思う。言葉というのは様式美の表現として使うものではなく(そういう側面はあるけれど)、人とコミュニケーションするために使うものだからだ。
原稿で「失笑する」と書いたら6割の人は「あきれる」という意味に受け取る。それでも「吹き出す」という本来の意味に固執するとしたら、過半数には別の文意に受け取られても構わないということだ。そうなると、そもそも何のために書いてるんですかっていう話になる。べつに原稿を通して日本語のテストをしたいわけじゃないでしょう。
だから、多くの人が「こういう意味だ」と考えているなら、その使い方をしてもいいんじゃないかな。全部間違えてたから言ってるんじゃないですよ。